28歳ターニングポイント論
「28歳って、何か変わる気がしいひん?」
最近考えていたこと。でも、誰にもそんな話をしたわけでもない。
チャンスができたのは、居酒屋で親友とチゲ鍋をつついている時だった。一通りの近況報告を終えたあと、私たちの会話が止まっていた。
「おいしいね、おいしいね」
全く意味のない共感を生んでいるときに、私はふと口に出してみた。親友ならわかっているくれるかもしれない。
彼女はすぐに答えた。はっとした顔で。
「わかる!めっちゃ変わったわ!」
それから、彼女と「28歳あるある」を話した。
酒を飲み散らかしたあとの熱い頬に、深夜の冷たい空気が、私たちをシラフに戻しつつあった。
この文章、日記としては非常に書きにくいのでもうしません。ノスタルジックの量は人それぞれ。ただし、中には自己完結自己承認化物もいるから注意がいるから、めんどくさい。
さて、冒頭の28歳のこと。
私はそれに気づいたのは、何冊かのエッセイを読んだあとでした。
「はー、なるほど」
このエッセイの著者の中に、何人か28歳で出版している方がいた。この人達はどこかで踏ん切りをつけて過去の自分をまとめて社会に公開する。その時に一つのターニングポイントになったのではないか。
これを28歳ターニングポイント論と名付けました。
ただ、「なるほど」以上の感想が出てこないので、本質が見えてないアホである。なので、この論への理解を深めるために、アホなりに一生懸命ググってみた。
webページに書かれていたことのおおかた
「28歳とはそれなりに社会経験を積んでいる。だから、自分で色々なことを決められる、ちょうどいい年齢である」
という風なことが書かれていた。
つまり、30歳になると成熟した大人だと、他人から認められるという風に28歳たちは思っているわけ。だから、しっかりした大人になるための準備段階に入った。
言語化されると、たしかにそうかもしれないという気がした。
28歳を迎えている私も、仕事、結婚、住まい、保険……といった人生を左右するものが、ずっとつきまとっている。コイツは自分の未来につながる重要タスク。どういったライフプランを想定していることで優先順位が大きく変わる。
「今度結婚をするのだけど、子どもを何人育てるかで、パートナーとケンカしている」
「老後のことを考えて、ナントカが特約についているナニガシカの保険に入った」
「今まで育ててくれた両親に介護が必要になったから、同居をして安心してもらうことにした」
……などなど。。
私の場合だと自分の健康を考えている。正式名がやたらと長い手帳と一緒にどう社会と付き合っているのか、なんとか子どもを産める体に寿命を削ってでも作り上げていくべきなのか。30歳という区切りのために延々と考えている。
そしてここまで書いたらバレているでしょう。
はい、何もしてなかった言い訳です。
wordpressを作るとはいったものの、こんな生活をしてました。自己防衛のためにもっと言っておくと、大嫌いなファッションメンヘラを、思い切りどつきまわせるようなことをしていました。でもSNSでクソッタレな文章を書くということは一緒ですね。大枠で言えば、私もファッションメンヘラです。アホな上にクソッタレです。
何人かの方には本当に申し訳ないことをしたので、この場を利用して、お詫び申し上げます。
これからもお日記レポートをよろしくお願い申します。
p.s.
最後の段落以降を書きたいがために28歳ターニングポイント論について書いたようなものなのですが、実際調べてみると「そうなんだ〜」と理解できる部分も多かったです。
これから28歳を迎える方は「その前にライフプランをきっちり決めておいた方がいいかな」と思うでしょうし、すでに大人の階段をのぼった方は「そんなこともあったなぁ」と思い出すでしょう。
私も今の状況をしっかりとメモにとって、これからの人生を歩むつもりです。
28歳で正しい選択ができるのか、できていたのか。常にふりかえりながら生きているのもアリかな、と28歳ターニングポイント論を検索して思いました。